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■2009/12/11(金) 271 真珠湾攻撃と2つの分岐点
 今週の火曜日12月8日は、1941年に日本海軍が真珠湾攻撃をして68年目でした。なぜ、日本海軍はアメリカ、イギリスに対して戦争を挑んだのか?については、いろいろな理由が語られています。実際のところは推察するしかありませんが、何が分岐点だったのか?いくつかの点を考えてみたいと思います。
 まず、真珠湾攻撃のおよそ70年前の1868年、明治維新により新政府は欧米に劣らない強い国にするために、国を豊かにし強い軍隊をもつ必要があると考え、富国強兵政策を進めたことが分岐点ではないか?ということです。さらに、1873年には、国民による西洋式の軍隊をつくる為に徴兵令を出し、満20歳になった男子に兵役を義務付けたこと。新政府がその頃あいまいだった国境を定めはじめ、琉球の所属をめぐって清と対立するようになったこと。その後、台湾に出兵、占領し、朝鮮半島をめぐって1894年、日清戦争が起こったこと。そして1904年、日本の勢力拡大を警戒したロシアとの間に日露戦争が起こり、アメリカルーズベルト大統領の仲介により日本の勝利で終戦を迎えたこと。これらが日本の軍事力をますます強大にし、軍部も自信を深めたのではないか?
 日露戦争に勝ったあとは、1931年、満州事変、1933年には日本が国際連盟を脱退し、1937年の日中戦争に続いていくことになります。この国際連盟を脱退した頃から世界との協調が崩れ、日本が孤立していったと考えられます。その後、ヨーロッパで勢いをつけていたドイツ、イタリアと日本は日独伊三国同盟を結び、その2国と敵対していたアメリカ、イギリスと決定的に対決の方向に進んでいったと考えられます。これら一連のことが、1941年12月8日に、日本が真珠湾攻撃に到った理由ではないかと想像しています。
 日露戦争の英雄、東郷平八郎氏は連合艦隊を解散する時、「勝ってかぶとのおをしめよ」ということばを残しています。もし、日露戦争の勝利後、戦争というものがいかに良くないことかを考えていれば、太平洋戦争に突入することはなかったのかもしれません。歴史の分岐点がどこにあるのか?その判断は正しかったのか?ということを考える時、私はいつも太平洋戦争の真珠湾攻撃のことを思い出します。この太平洋戦争が70年後の現在の沖縄基地問題と深くつながっていることを考えた時、歴史のつながりの不思議さを感じると同時に、新たな歴史の分岐点を迎えているようにも思えます。

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