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| ■2010/09/03(金) 337 教科書のデジタル化に疑問? |
| 2011年から始まる小学校の新指導要領改訂で、特に言語力を重視した教科書に全教科とも様変わりするというニュースは、今年の春報道されました。ここにきて文科省では、どうも2015年あたりから小中学校において教科書のデジタル化を行なうのではというニュースも流れ始めています。教科書のデジタル化は、紙の教科書ではなくて電子検索機、例えばiPadのようなものを1人ずつの生徒が机の上に置き、その機械を検索していったり問題を解くというもののようです。つまり、調べようと思うといくらでも調べることができ、一見自主性が芽生えそうですが、調べることだけに主体を置きすぎて、なぜそうなるのか?自分の考えはどうなのか?他人の考えはどうなのか?という次のステップの考えたり比較したりする力が衰える危険性をはらんでいます。つまり、機械は答えを知ること、わかること、理解することには便利ですが、思考や対話力、活用力というような本来人間のもっている最も重要な学力を育てることには直接つながりません。ましてや、来年からの新指導要領では、全科目で言語力が重要であると言っている文科省が、デジタル教科書によって生徒たちのいわば言語力、コミュニケーション力を奪っていく方向にしていこうというのはどう考えても支離滅裂です。さらに、先生の子ども達への指導の役割は何になるのでしょう?子どもがデジタル機械をおおっぴらに1人ずつ持てばその世界にはまり込み、他者とのコミュニケーションを面倒に感じるようになるのは明らかに予想できることです。デジタル機械は、あるひとつの答えを探す正解主義には大変便利ですが、いろいろな考えがある中でどのようによりよい考えを導いていくのかというような大切な思考力には向いていません。ひとつの正解を早く正確に求めることが良いと考えて行なわれてきた「正解主義」中心の日本の教育が、価値観の多様化、国際化などにより崩れつつあるにも関わらず、もう一度「正解主義」に戻そうというこの教科書デジタル化の動きは、自分なりに考えない、他人と話さない、意見を聞こうとしない子ども達をますます増やす結果になりかねません。本来、教育とはひとつのテーマについていろいろな考えを多面的に学び自己を成長させるものではないでしょうか?私は、デジタル教科書により、ますます正解主義にこだわり話し合いのできない生徒をつくることが日本の発展につながるとは到底思えませんし、ましてや国際化の中で異質な考え方を相互理解しなければいけない時代に入った日本の学習法とは思えません。デジタル教科書の導入で利益を上げたり得をする一部の人たちの利権の為に日本の大切な宝である子ども達が犠牲になるのは大変憂うべきだと考えています。保護者のみなさんは、このことをどのようにお考えになりますか? |
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